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〜2004年版〜

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04/12/20時間割より
 平成16年も終わり、17年を迎える。陽気のせいだろうか?慌ただしい年の瀬を感じない。でも16年もあと2週間。数学教室的に云うと、あと2回しかないのだ。勿論、数学教室にはホーム&アウェーと云う「自分の通う教室のみならず他の教室にも行けるときに行けるだけ詰めて通って予習ダメして、試験前や学校行事前にまとめて休む」と云う先輩たちが築き上げた慣習がある。よって冬休みなんか、全部の教室に通って3学期の予習だけでなく、1月の進研に向けて、2〜3単元復習する卒業生もいた。
 理想的には3学期の予習をこの時間割内で終わらせるとよいだろう。そのためには例の既製品でどこかの教材会社と組んで作った高校の宿題はここに持ち込むことなく家でやるべきだ。あと、予備校との掛け持ちも考えられるが、僕はそれは推奨する。冬休みは短期間なので費用もそれほどかからないで予備校を体験できる。将来高い買い物をして後悔する前に、有名どころの先生の授業を覗くのも良い経験だ。 数学教室には夢破れ予備校に通う先輩の情報は沢山あるので、お金を払う前に相談するとよいだろう。無論FCSでも冬勉強会を企画しているので、参加するのもいい。ただ、参加すれば頭が良くなると「勘違い」する向きが多いが、我々を含め教育産業は「道具」に過ぎない。要は「あなたの利用の仕方次第」である。
 恒例の「宝満山御来光17」を今年も開催する。すでに参加指名はされている。集合は太宰府駅コインロッカー前に大晦日22時30分。解散は元旦10時に太宰府駅である。
04/11/08時間割より
 パソコンのハードディスクがクラッシュしてしまい、2003年11月以降のデータが失われてしまった。「バックアップと云うのを取ればよかったのではないか」その通りなのだが、昨年の集中豪雨で落雷があり、近所のパソコンがほぼ壊滅した際、うちのバックアップシステムも壊れていたため手作業の範囲しかデータが残っていない。
 幸い、月謝システムだけはバックアップしていたので数学教室の業務は継続できる。他はすべて一から創り直しだけど。
 さて、その失われた前のタイムテーブルの文面には確か「98年以来の教室の統廃合」「会員の拡大募集」を行う旨があった。
 一方、個人的諸事情から中央区に12月、移転する契約を進めてきた。そこの都合もあるが10名ぐらいは指導できる空間が発生する。そこで、筋書きには書かれてなかったけれど思い切ってそこに教室を開講してみようと考えている。無論、大手予備校や後発組の総合進学塾のような立派なそれではなく、僕が目指している新型教室からは程遠い空間であるが数学教室の原点である「生徒の成績は建物や看板で決まらない。教務内容で勝負」に起ち戻り、空間があれば教室を開く、少しでも会員の利便性を上げる可能性に挑戦してみよう「体裁を気にせず結果主義」を貫き通してみようと思ってみた。
10名程度の空間なので4400円では破綻すると識者は云う。しかし「金を積み成績を上げる事に僕である必要はない」主催者の性格は頑固である。ただ「やる気のないよく休む子」とおつきあいする程、お人好しではないつもりである。
 12月から時間割を変える方向で進める。すべては他の教室でも同じ事だ。(自分が過去見いだしたもので)失ったものを一から創り直すつもりである。
04/09/27時間割より
 いよいよ秋の模試間近
 数学教室は今年で12年目を迎えている。
そもそも数学教室のコンセプトは九大より難しいとされる大学入試に極めて有用で、ラサールや麻布、開成、灘生が愛用する「Z会」や「大学への数学」と云う数学学習アイテムを消化不良を起こさないように適切に普通の高校生を導く事にあった(東京ではそんな塾が流行り出していた)。
 しかし平成5年6月、生徒募集をすると福岡のニーズは二極化していた。
 東大、医学部を目指す当方のコンセプトを理解する生徒は入会したが少数で、多数はあすにでも解決する高校の宿題、殊更酷いのは「筑紫プリント」等の提出物対策を希望した生徒達であった。
当時は日経新聞代3,800円と云う低い月謝設定も手伝ってここは「腰掛け程度」と誤解を招いたのかもしれない(自分の都合で平気で休む者もいた)。
 しかしながら、太宰府、武蔵台、筑紫中央、筑陽高校の生徒に「数学が解ける喜び」を与えるのにさほど時間はかからなかった。ほとんどの会員が各学校で学年1位、ベスト10。一カ月停学を喰らって高校を休んでいたにもかかわらず平均点を下らない会員もいた。噂を聞いて、長い間通っていた例の学習塾を辞めて数学教室にチェンジしてきた筑紫丘の高1生はうちで鍛えられた筑紫中央生や太宰府、公立落ち筑陽生に全く歯が立たなかった(進研で70点取る子、全国偏差値80台の子もいたのだから)。
でも正直に告白するならば全員がすべて上手く行ったわけではない。相変わらず筑紫丘の一部、筑紫、春日の会員は宿題に振り回されていた。筑紫丘生の一部は新たに入会してきた附設の会員と同じメニューを選択し「過去の喜び」を取り戻したが、明日しか見ない人には多分その日は訪れていない。
筑紫丘生を出し抜いた中央生達に僕が教えた事。それは高校の予習である。高校の授業をすべて復習にする。出来る子はとことん先取りさせる。そして高1でセンタープレ模試、高2で東大実践や九大オープン等の模試を高3・浪人生に混じりチャレンジする。実に痛快な事だ。一貫ならかつて実在した筑紫中央生が筑紫丘生を出し抜くより遥かに簡単な事だと思うが。
 ps 秋の時間割改編を行うが「腰掛け程度」の会員には一切配慮を与えない
04/09/06時間割より
この時間割が終わる頃は秋深し
8月末の日曜日に教え子の結婚式があった。教え子と云っても勉強のそれではなく、彼女には(僕は大学に入学する前はデザイナー=XJAPAN との仕事もあったな・・・として契約していた事もあって)デザイナーとして業界で生き残るための指導をしていた。当時自覚はなかったが彼女は僕の「弟子」として日常指導を受けていたようで僕は「師匠」として結婚式に呼ばれたようである。
縁は奇遇で1年ぐらい経って彼女のお兄さんが僕の(数学&理科での)教え子だった事を知った。当日彼は一生懸命ビデオを回していたが、合間を見て当時の話を聞いてみた。
「先生の指導はあまりにも過酷。妹は毎日泣いて帰ってきた」と前置きし「だから今がある」とフォローにならないフォローをついでくれた。
式場には彼女の作品のギャラリー展示コーナーがあった(因みに筑紫野市のゴミ袋のデザインは彼女のそれである)。多少の名声と知名度は確立し、勿論、自立し食べていける腕はあるようだ(まだ僕に到達してない部分はあるかな?なんて)。
ところで、8月末に3年生が数名引退した。引退理由は私文転向。センターは記念受験となり、本命の私立では数学は必要ないからである。
宗教を背景とする、学費に良心的な西南大学でさえ初年度は90万円近い負担。福大はもっと高くなる。そして実は慶応と福大は大差はない。
そしてそのお金を調達するにはこの次期から家計調整が必要と思われる。学歴を買い物と譬えるなら、福大より西南、西南より同志社、同志社なら早慶の納付書にお金を振り込みたいと考えるのは至極当然。国立の勉強をしたために早慶が同志社に、同志社が西南に、西南が福大に、福大が九産に100万円近く払うようになっては悔しい。「はっきり覚悟しなさい」と云うのがお金を出す方の心理だと察する。そして、家計の収入と相談の上、決断を迫られたのだろう。
去る人間の都合はいろいろだが残る人間に対しては「何のため教室にわざわざきているのか」を考える良い機会である。「毎日泣いて帰るくらい」鍛えられているか。新しいことを学んだか。その自問自答の連続がプロ(=他人からの投資対象)への道である。そうでないなら辞めてしまえ。社会はその様な中途半端人間にお金は支払わない。あなたが好みでない服をわざわさ買わないように。
04/07/19時間割より
さて夏休み。3単元程度の予習をしよう!
数学教室には夏期講習なんかなくて、レギュラー講座が7月、8月と引き続いて行われる。これは夏休みに入って高校が完全に休みにならないからである。だから夏期講習なんて大々的に打たない。月謝も4,400円のまま毎週の講義を受けてもらうことになる。
と云っても平素の学期と違い、部活や体育祭の練習があり、夏休みの方が出席が悪くなる会員も多い。
他方、会場である公民館もお盆や夏祭りで使えない日も多い。
そこで「朝から勉強会」と云う集中的に勉強する機会を作り、公民館の都合や部活等で休んだ分を相殺するシステムになっている。
さらに夏休みに限らず数学教室には「ホーム&アウェー」と云う便利なルールがある。これは「会員の学習の要求を満たすため、会員であればどの教室にも通う事ができる」事なのだが「今までの人生を反省し心を入れ替え夏休み気合を入れて勉強したい」とか「学期中は他の教室は遠いし、明日の英語の予習もあるので行けなかったけど、夏休み期間なら」と云う先輩達は毎日のように勉強に来て現役合格していったものである。
でも尚「やっぱりそれでも夏休みは忙しい」「夏は東京の予備校に通う」「私はホームスティ」と云う向きがあるだろう。
その場合はその場その場で数学教室は判断しているが概ね三週以上続けて休んだり、月2回以下しか来なかったら「合わせ業」と云うのがあって、他の月と相殺している(だから月謝は月末払いになっている訳だ)。
ただこれを悪用して、服を買ったりしていた「猛者(後に追放)」もいた。逆に一週間毎日詰めてきて、二学期の予習を終わらせ、他の夏休みをすべて休む「要領のいい」人もいた。人生いろいろ、使い方いろいろだ。
最後に、「朝から勉強会」は作文提出者は無料。レギュラーと同じ扱いだ。ただ他の先生の時は「ただ働き」はソーリーなので1,100円(作文未提出者2,200円)払ってやって欲しいし、他の科目もこの機会にのぞいて欲しい。
04/07/05時間割より
高3で受けては腕試しにも洒落にもならない
進研模試も終わり、熱い熱い夏休みがやってくる。
新高1諸君は高校には課外と云うのがあって毎日学校に登校しなければならないから夏休みはあるようでないなる事実をまだ体験していない。
だから中学のときのように「夏期講習はどうなってるのですか」と云う問い合わせが多い。
「数学教室は公民館が休まない限り平常どうり開講されます。」と答える。これは学校生活との両立を考えれば至極当然の事だが、予備校・塾産業界では「夏期講習の受講料=ボーナスチャンスをみすみす放棄している」行為にあたるので理解不能と断される。
しかし、高校生諸君の中には一日何コマもある課外授業の予習とおびただしい夏休みの宿題プリントがあるにも拘わらず、西鉄の回数券を片手に学校の課外との時間と電車の時間とを何とかやりくりして予備校に強行通学する者も多数見受けられる。
私は学校を含め、予備校も使いようなので、結果が出るなら可だ。でも予備校事務員の「ボーナス供給源」になるような参加ならしない方がよい。
特にセンター型のものは時間がないので答えを流すだけに陥りがちで「詐欺」っぽい(一部の地理、世界史、物理、化学の先生は別だけど)。
悔しい思いをした19になる先輩の情報があるので相談に応じたい。
尚、数学教室ではこの夏休みに二学期の予習を終えるつもりだ。高3は3単元ぐらいの復習は出きるのではないだろうか。それはあなたの出席次第だ(忘れた頃やってきて成績が上がるはずもない)。
最後に模試日程を挙げる。締切は10日前だそうだ。
■S台 ●京大実践8/2●東大実践8/21・22●九大実践11/3
■K塾 ●東大オープン8/14・15●センター模試8/22
●京大オープン8/29●九大オープン11月中
■ Yゼミ●東大プレ7/17・18●京大プレ8/4●九大プレ8/22
04/06/14時間割より
いよいよ7月。期末考査そして進研模試そして、
新高1の生徒諸君はもう中学校のように簡単に点数が取れない試験に慣れてきて、ひょっとすると50?60点取れることに満足してしまう自分の姿に違和感を憶えない次期にさしかかる頃である。
高2生諸君はその過去を体験済であろうけど、さらにそれがエスカレートして、「赤点でなければいい」と開き直る自分に驚きすらない。
無論、その2年間の「つけ」はいつかきっと味合うわけで、高3生諸君は4月から極端に増えた学校活動に忙殺されつつも、ふと朝、目を開けた時折々に「受験可能校(=将来の職業選択肢)の制約」を受けている自分にさりげなく気づき、でもまとまった時間を作れない現実に焦ってしまう。
学校行事に専念している自分は楽しい。けれど、将来明らかになりつつある現実と近未来に、すべての行事に「酔えない」自分が日に日に増していく。そうすると、人間本来具有するとされる射幸性と商業ベースを基盤とする受験産業のいざないが「夏休み一発逆転勝負」と云う総決算的イベントを作り上げ、動員される自分の姿が必然と疑わない自分がそこにいる。
例年この現象は繰り返されている。
私は予備校や夏休みの学校の補習は「使いよう」と断言する一人なので、どこの予備校の授業がいいか、どの先生がいいか、浪人生を呼んででも聞いて情報は流すし、奨励すらする。また受ける以上はその使い方についても損をしないようにアドバイスもする。
人は「お人良し」と云うが私は現役国立大学合格がいかに大変かを熟知しているから惜しまない訳であり、また、一人の国公立大学生を創る事の前に、個人的利害はあまりにも小さく儚い(高校の担任の先生が将来を保証するなら話は別であるが)。月日(夏休み)や事物(講習や学校)は実力を創らない。手段にだけ期待しては結果はついてこない。
夏休みの終わり、夕陽を徒労に見つめる自分がいないように。
ps家庭訪問、進路相談等随時受つけます。
04/05/24時間割より
授業・課外・宿題・部活そして両立がゆとりを生む
昔昔、数学教室に入会していた生徒の話だけど、筑紫丘には受かる立場にいて「筑紫で上位で頑張った方がいい、近いし」と云われ、筑紫に進学したものの、全く高校の勉強に通用しなくて、友達から声をかけられていたけど、結局、最後の最後の高3になって入会し、理系であることを維持することに精一杯(=筑紫がどんどん進める数IIIをやるのに手いっぱいで、高1・高2の復習は手をつけられない)に終わり、玉砕。浪人してしまった。
一浪後、結局、またしても国立には届かず、関東の私立理系大学に進学した。そして四年が経った初秋。彼は就職活動に勤しんでいた。
彼が目指していたのは国土交通省。それも定員が少ない技官。日本の国土を取り扱う夢のある職業だ。
彼の進学した大学は決して一浪してまで行く大学ではないが学生を徹底的に鍛え、留年率の高い、企業から評判のよい所だったので土木の勉強はしっかりしていたようだが、筑紫時代と違うのはマイナーな競技だけど相当ハードなサークルに参加し、全日本レベルの選手と交流していたことである。
その彼の最終面接が終わり、ここ箱崎宮で合格祈願を行うため、彼と再開したわけだけど、最終面接の内容を聞くと、一切学問の話はなく、サークルでの人間関係、トラブルの処理、目標に向って解決するための集団行動の取り方等「社会性」への質問に集中したと云う。
彼のサークルは社会性や競技レベルも高いため「だらだら」した「お遊びサークル」では考えられない「濃さ」に満ちていたため、それまでの過酷なペーパーテストからして肩透かしを喰らった最終試験内容となり、無論「合格(入省)」である。
彼から名刺が送られてきた。予選落ちしたが海外遠征にも行き、競技も楽しんでいるとの知らせ。事物の処理の高さは人生のゆとりを生む。
ps中間考査が終わり次第、予習を進めたい。欠席せず、つめてくるように。
04/05/03時間割より
きついきつい学校がはじまった
高1の生徒は朝補習と部活が始まり、8時半に行けば済む中学校生活とのあまりの違いに体力が持たず数学教室を欠席しがちになる子、入会を断念する子も多々見受けられる。
「高3になったら勉強する」と意気込んでいた新高3生も「こんなに忙しいとは思わなかった、高2の時と比べて、予習の量が半端じゃない。学校の終わる時間も遅くなった」と云い「心を入れ替えて毎日のように来る」事もなく週一回どこかの教室に何とかやりくりして行くのが精一杯になってしまっている。
「物事を後回し、後回しにする癖がつくと社会で通用しないから時間がある春休み、連休でしっかり勉強した方がいいよ」と事前に云った意味を体で実感してもらえれば今の段階では「良」としよう。
しかし、「勉強(=仕事)」が出来ない事は「赤点(=リストラ)」と公式に「認定(=政府の云う『負け組』なる烙印)」されるのでこれは何とかしないといけない。
勉強は心澄ませば理解できる物事だけど、商売や音楽、美術等の芸術やスポーツはそうは行かない。いくら努力しても背を10cm伸ばすのは難しいように、ホームランを打てない人は一生打てない。
商売は更に深刻で売れない商品を「いつまでに、何個、店に下ろしてこい」「取引先を前年度費10%アップ」と云われても、君達がコンビニで買いたくないモノを買わないように、どんなに努力しても人が買わないモノは売れない。自分の努力ではどうしようもないのが商売の難しいところだ。
農業は更に更に深刻だ。相手が天気なのだから。
君達はまだ子どもでつい先日までは朝8時に起きれば一日が程なく始まり、塾の言う通りに問題を解いて試験前前日に少し努力すれば結果が出る中学生だった。しかし、あと数年もすると電車に乗っているあの大人達と同じ土俵に乗り、何だかの「ノルマ」を課せられる日々が来るのだ。
ps数学教室、福岡市内の公民館と交渉開始。希望公民館があれば申し出る事。
04/04/12時間割より
新学年度のはじまり〜はじまり〜
この1年間の人間関係のきっかけであるクラス発表から始まり、1週間の行動を制約する時間割も発表され、それらに従い、対外的には周りの人との対話を通しての人間関係の構築、内向的には起床時間、就寝時間を含めた曜日ごとのリズム作りと体調整等、この時間割の日々は新生活に自分を馴染ませるための期間となるはずだ。
特に新高1は「高等学校」と云う未体験ゾーンに一歩踏み入れたばかりなので、全てが目新しく、何が重要で、何が不要かを見極めにくい。個人的性格次第では「振り回され」て体がボロボロになる一歩手前の状態を例年この期間に迎える者も出てくる。まぁ数学教室が無学年制だから、先輩たちからどのように「曖昧かつ適当」になっていったかを聞き、多少気を楽にして欲しいものである。
逆に高校生活が「マンネリ」化した上級生は「合格(浪人)」と並ぶ「ねじをまき直す」数少ないこのチャンスを有効に活用すべきである。
新生活が始まって数学教室と疎遠になるものも出てくる。これは織り込み済みで「春休みや5月の連休」に勉強会やレギュラーに詰めて出てきて予習しなさいと云っていて、暇な人か将来を考える数少ない心ある人はその話を聞いて実行しているだろうから心配はしていない。
数学教室は基本的に出席も取らない、連絡もしない、制約をしない。この柔軟さがどこの教室に行ってもよし、上の学年の勉強をやってもよし、部活等で忙しい時はまとめて休んでよしと云うシステムを作り上げている。さらに予備校と違い、来ない人から月謝は取らない。月謝の事を心配せず、事物や計画に集中する事を推奨、支援している。
だけど、連絡はして欲しい。社会的な常識からしてお金を貰っている方がお伺いすべきかもしれないが僕から電話して「親から云われて塾に行く」ようじゃ子どもと変わらない。人から云われて動く人間の周りには人はつかない。心から助けようと想われる人を日々目指そう。
04/03/22時間割より
家で春休みの宿題はやる。数学教室では1学期分の予習をする。
いつもの事ながら、春休みになると学校の宿題を持ってきて「これやります」と解き始め出すのだけど、確かに生徒の立場に立てば、あれほどのプリント(冊子)の量とそれをやってこなかった時のペナルティーのちらつかせ方を考えると、まるで毎月の家や車のローン返済と変わらない様なひしひしとした精神的圧迫感を感じ、同情する。
宿題の一側面として、職場や金融機関から何だかの期限をつけられて、その期限に対しどう取り組むかなる「ある種の訓練」と捉える事もできる。
「社会は厳しい。学校はそんな社会でやっていけるように厳しい訓練の場でなければならない」と定義する向きからすれば、宿題はその効果を十全に発揮していると云えよう。
しかしそう云ってこの教室で学校の宿題を肯定している訳ではない。
宿題は一律のもので、あなたの学力に一対一の関係にない。ローンで云えば多重債務者(成績劣悪の人)には、程度が酷ければ住む場所の指定から指導しないといけないし、そこまで酷くなくとも、首がまわらない即ち、どの借金から手をつけていいか解らない人には家を売却する等の資産の整理(出来ない事に手を出さない)返済の整理(やる単元を絞ってやる)支払い分割方法の変更(いきなり宿題の問題は難しいので、例題や類題を補完して宿題の問題にチャレンジする)の道筋をつけなければならない。
逆に優良な企業や家計には、彼らがより社会の牽引役になるよう、新規に貸付し、その計画が円滑に進むよう金融機関は職員を出向させるなどしてアドバイスを与えなければならない。しかし、優良にも拘わらず、多重債務者と同じ金利でしか融資されない(成績の悪い人と同じ宿題をさせられている)ため、その社会集団(出身校)と同程度の繁栄しかせず、なめてかかって「さぼり癖」がつき、遂には堕落する。
最終的な選択は君の自由である。(数学教室の)ご利用は計画的に。
PS櫻見は3/28朝10時から(雨天は翌日昼2時から)場所は雑餉隈桜並木道。
04/03/01時間割より
平成16年度前期時間割
3年生はもうこの時間割を必要とする者はいない。そう諸君は新学年を迎えることになる。
教室を年長者として我がもの顔で闊歩していたあの先輩達もこの時間割中には4月から4年先(6年先)まで、もしくはつい1年先までしか見えない人まで含めて、新生活が確定する訳だ。
職能制が高い大学を選択した、せざるを得なかった者は、この4月はこれからの一生涯のサイクルの始まりでもある。
さて、残された諸君達であるが、あの先輩たちのように入試問題を解き、解説できるだけの技量を模倣出来るか。
今まで習ってばかりの新高2生になるあなたが、先日まで中学の制服を着ていた新高1生諸君に二次関数の最大最小の場合分けや絶対値の計算を説明できるだろうか。
この3月は公立高校は人事異動、私立は卒業生、新入生対応で課外、補習も比較的少なく、予備校有名講師陣も唯一の長期バカンスを取る(査定にかかる講師陣は必死に契約延長のため春講座に勤しむが)。
暇は今しかない!
また、最初の中間、期末そして進研で名前が張り出されれば、その上位者名簿(下位者も)は一年間変わらないものである。これはアビスパに似ている現象で、5月に最下位近くになっちゃうから、選手もファンもやる気が失せてしまい。そのまま結局、年が暮れてしまう。
チャンスは今しかない(出来ない人は特に)!
春、5月の連休と数学教室は勉強会を重点的に行うが、レギュラーでもこの機会に毎回目的を決めて、単元ごとに克服し、1学期=2〜3単元分の予習をしよう。単元を究めた新高3生は先輩たちのように問題集を10日間一冊ペースで消化していこう。
秋口の一カ月と新緑の季節の一カ月の違いを噛みしめて。
04/02/09時間割より
3年生引退に伴う教室の統廃合と時間割の再編
既にセンターのみで数学が必要ない文系の3年生はそうであるが、後期試験の科目次第で大半の3年生はこの時間割一杯で引退する。
彼らがそうであったように、この光景を他人事のように眺めてきていた1年前の高2時代。「(センターの腑甲斐ない結果のため)この大学を受けるなど去年の今ごろ考えもしなかった」と云える人はまだ良い方で、既に(あまりにも低得点のため)願書提出不能、もしくは「記念受験(大学に貢いでいる)」状態になってしまった向きも世の中には多々存在する。
「勝ち組、負け組」の峻別社会が公認される中、現役で(企業は社員教育に金をかけたくない=学生時代に企画、実験等を身につけている人を採用したい→少人数の手厚い研究指導が期待できる)国公立大学に進学するのは年々難しくなってきている(意味のない大学には企業は厳しい)。
入試問題を見ても、福大と九大より(求人する側からの視点で)上の大学とでは桁違いになってしまっている。偶然、企業が好む大学の入試過去問を解いた極極一部の高3生はその差の大きさに気づいているはずだ。
実はその真実を学校や予備校は知っているが、自分がいい人でいたい(余計な仕事をしない、授業運営の混乱を来たしたくない、他の先生と歩調を合わせたい)ので、云わない(「沢山大学を受けては」と云うだけだ)。
さて、数学教室は生徒の要望に応え会場=公民館や時間割を決めていく過去の慣例があり、3年生引退の今、見直しの時期である。
昨年、大野城市の条例改正のため南ヶ丘の教室移動があり、土曜日の時間割に無理が生じている。また、福岡市の公民館は過去2回、使用申請を出したが、教育委員会から却下され、「もっと月謝を上げて場所を借りれば」と経営指南まで頂いたが、市長がニ選を果たし、議会答弁でその足かせもなくなった。
数学教室は道具だ。道具として使い切る努力を為ずして一生「払う側」から「稼ぐ側」には回れない。3年生はようやく気づいてきたようだが。
04/01/19時間割より
第1ラウンド(センター試験)は終わった
バクダットの日本大使館で麦茶が出てくるのに小一時間もかかってしまった。三等書記官曰く「大使館は危険施設と認定されているので日本人を入れることは出来ません」。
上官が不在だったので、忠実に任務を遂行する彼に隙は全くと言っていいほどないように思われた。その25歳ぐらいの大使館員は自動小銃で武装された護衛部隊と日本大使館敷地内及び日本国政府見解全ての権力を代執行できるのだから。
映画のようなソファーにつき、老練かつ各層の頂点を極めてきた我々随行者に対する会話にも隙を見せない青年大使館員。
しかし、天下国家を論ぜる仲間と違い私は一介の数学教室の講師。よって「国家(外交官)I種に受かるのは大変だったでしょう」と素直に「はたらくおじさん」モードの質問を行った。すると、
「私は高卒です。大学には行っていません」と。「何故ここに」と聞くと「キャリア(国Iや外務)じゃなく国家III種で内閣官房を希望して入省し、ここにきたのです。」「アラビア語が堪能だからか」「出来ません。私の任務には必要ありません。最初(高卒時)は英語だけです。ブラジルの大使館にいたのでポルトガル語は出来るようになりました」。一等書記官(彼も私より若かった)が戻ってきた。青年の任務がこの瞬間解かれた。
その後、寡黙な青年との個人的会話から、高校時代の相当な意志と入省後のたゆまない努力=野心がある事を私は認めた。
イラク人は日本人を尊敬する。それは日本に階層(ブランド)より努力を認める余地がまだ残っているからかもしれない。
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